外国語ができないのに外国の本を読もうとする人
私へ。
去年から始めた一日10ページずつ本を読む習慣、一か月が経過
語学レベル:外国語で生活ができるとされるレベル(実際はできていない)
読めた本数:2冊弱
読む過程で学んだこと
・毎回辞書を引くと気持ちが萎える
・自分のコンディションによって理解力が大きく左右される
・文法は精読すれば8割はわかりそう(毎文やると時間がかかって萎える)
成果
・なんと2冊も読めた達成感(前は1冊読むのに一年かかっていた)
・精読も辞書も使わずとも話の流れは読める
・集中できる日は笑ってしまうほど理解できる(体感的に3/30くらい…)
・小説のランボー面白い
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私は怠け者で集中できないタイプではあるが、怠慢と片付けてしまうだけでは勿体ないと思っている。達成感をもう少し増やすことで成果が上がるのではないだろうか。
私の一番の萎えポイントは文中の修飾節で文全体の意味が掴みづらくなって結局文全体が何言ってるかわからん、のまま次の文へ行くことでないか。わからないのに続きを読むのは苦痛だ。さらに私は細部に気を取られるうちに最初に挙げられた主語と述語を忘れていることにも気付いた。
以上のことから、今日から主語述語のみにフォーカスして毎文の意味をとらえていこうと思う。
けっこう暴れん坊のランボー
先月の終わりからランボーの小説を読んでいて、それが今日読み終わった。
森の奥からボウガンを持ったシルベスタスタローンが黙ってこっちに走って来る…。
遠い昔に見たのはそんな感じで、ストーリーはそれこそ覚えていなかった。ベトナムの戦争から帰還した兵士の癒えぬ心の傷や生きづらさを同時に描いた名作とのことだが、映画と原作とでは結末がかなり違ったらしい。
アクション映画にありがちなドンパチの末に敵を負かすという単純なストーリーではなくて、ドンパチの末にお互いに執着して心惹かれあうみたいなラブストーリーを思わせる勢いすらあった。男の友情は時に拳がいるぜ、という話をこの間パブで聞いたような気がする。拳を交えてやっと相手のソウルがわかるぜ、と得意げに笑いビールを飲み干した男の声を思い出した。なんともハードボイルドな世界観だ。
寡黙にたたずむ彼のイメージは映画とは少し違い、けっこう積極的に攻めていくのが印象的で、ランボーの戦闘描写がないのに兵士が次々と倒れていく様はむしろ相手側に同情する。小説はランボー側と敵のティーズル側にパートが分かれていて、それぞれのバックグラウンドや心情が細かに描写されている。とても読みやすかったし、よい言語の勉強になった。
ペンタブとのファーストインプレッション
かかあ天下か。。。
ペンの方が思ったより威勢が良くて、手が面食らっているもよう。
ペンの方がむしろ手を引いてくれるタイプのようで頼もしい。
もうちょっと時間をかけてお互いを知れていければいいね。
すべての音の波動が目に見え、肌が震えるさわがしさ
たまに連れて行ってもらうバーで見ず知らずの人と話す機会がある。ひとりは好きだが、こうして社会の団体のなかに身を投じるのは自分の世界を広げるのに必要だ。
自分から豪快に知らない人グループの輪に割って入り、しかも会話の中心になってしまうパートナーにはほとほと感心する。私が育った環境ではなかった世界、半時間後にはショットを互いに振舞いあって肩を組んで笑っている世界。頭上でビールのおかわりが飛び交い、みな信じがたい声量で会話する。海賊船のなかはきっとこんな感じに違いない。
こんななかで私はどうするかというと、大体やや年配の人を見つけるとうまくいく。
しかも腕に余すところなく入れ墨をいれた2mぐらいの大男。こちらが小動物になったつもりで接すると意外と優しくしてくれる。何食べてそんなデカくなったんだ、とカタコトで聞くのがいつもの戦法だ。予想される返答はネイティブスピードでもそこまで難しくないし、知らない食べ物なら話が広がる可能性もある。
そのように強面の大男の厚意につけこみ、今日は賭博の一部始終を間近で見学させていただいた。大当たりしても盛り上げ下手なので、もはや日本語でヤッタネー!というばかりであった。それでもガハハと笑って、何が当たったか身振り手振りで説明してくれた今日の人ありがとう。
活動する時間を意識的に増やす努力
今年からNotionを使ってやりたい事を進めるために考えを整頓し始めた。
ちょっと今年は他人には見栄を張るぐらいで生きてみることに決めた。
そしてペンタブを買った。絵を描くぞ
自分の発声に癒される
自分の声が好きという話でなくて、こうして会話する相手もいなくて黙りこくっていると鬱っぽくなってくる。一人暮らしをしていると独り言が多くなると聞いたことがあったけどあれはメンタルを保つのに大きな役割を果たしているんだなと思う。
とはいえもともと独り言を言わずにここまで来て、いざスタートさせようとも独り言って勝手がわからない。角に指をぶつけて痛っとか、虫が出てワッぐらい。
今月の目標のニュース音読を始めたのがちょうど良くて、テキストを意味もそこそこに読み上げるだけなのにこれがどうして楽しい。もちろん自分の鼻声と変に高い声にやや幻滅はするものの、喉の開き方とかどこに息を当ててみようかとか息の吸い方まで試行錯誤しながら微妙に声をコントロールしてみるのは何だか体操のようで気持ちがよい。自分の出す音に全神経を集中させるため雑念が消えていき、まるで瞑想のようなのだ。